神の光 2023年3・4月号巻頭言 泣くべき時には

三月は教祖さまの祥月命日にあたる。教祖さまは御奉公時代のお若い頃にお囃子をたしなみ、歌舞伎や浄瑠璃もお好きで、晩年には芝居を見た時のこんな逸話が残っている。

明治二十四年のこと、熱心に丸山信心をしていた歌舞伎座付役者の板東彦十郎という人が、教祖さまに自分の芸を一度お目に掛けたいと東京より一座を連れて来て、隣の寺の境内を借りて舞台を掛け、複敷を設けて木戸銭なし(無料)で幾幕かを演じたという。その頃は九代目市川団十郎、五代目尾上菊五郎などの盛んな時で、彦十郎はこの人等と共に芝居をしていた名優であったことから、登戸の片田舎としては前代未聞なことで、村中が大騒ぎとなって村長始め村人が大勢集まった。そんな中、複敷の中央に招かれた教祖さまは、阿波の鳴門の十郎兵術のではないが、親子の別れの悲しい場面になると周りにはばかることなく手放してとお泣きになったという。周りにいるお付きの者達は、「丸山の御開山」として今や飛ぶ鳥落とす勢いの名を成す人が、大衆に囲まれた中でのこの始末に世間体があまりに悪いと思い、「教祖さま教会に戻りましょう」と仰ると、教祖さまは「何を言う。悲しい時には悲しくあって、泣くべきときにはしっかりと泣く。つまらぬ体裁を気にしてどうするのだ」と仰せられたという。

身近な人を送るのも同じこと。しかし私たちは世間体を気にして恥ずかしいと、泣くことを時に躊躇する。そんな折、愛知県常滑の泰心教会の教会長さんの御母堂が享年九十八でお里帰りされたとの報を耳にした。教会長さんの思いは、通夜葬儀は人に任せても遷霊祭(みたまうつし)だけは自分で行うと心に決めて斎行したところ、拝みの途中で感情が込み上げ絶句、暫く働突してしまったという。これには「御母堂の九十八の年には不足なし。七十五歳の分別つく人の取り乱しはいかがなものか」と思う人もいるだろう。しかし、教祖さまの先の逸話を思う時、泣くべく時にしっかりと泣くことがいかに大事なことか。御年九十八といえどもお里帰り(死)は誰にとっても一大事。最も身近で大切な人の一生のけじめ、別れであれば、なおさら清心・誠心を手向ける以外に手立てなく、教会長さんの周りを気にせずしっかりと泣けたこと、うらやましい限り。御母堂への何よりの僕と感じ入る。「長十帰り」これ以上の安心の言葉なし。