目次

1 : 丸山教はどういう信心なのですか?

教祖様のお言葉に「丸山は日の鏡を立てて明るき道を賞美することをたのしむ」というお言葉があります。また、お歌にも「恋しくば訪ね来られや神の道 くもる心はさらにないぞや」とお詠みになられています。
先のお言葉の意味の大要は、「親神様を信奉し、その大御心を相続して、親神様のお導き下さる明るき道をほめたたえ、そしてその道にそって大いに人生を味わい、たのしい一生を送る」ということです。
また、お歌は、「神の道を求める心があればどうぞ訪ねておいでなさい。怒り、妬み、つらみ、嘆き、悩みといった迷いの世界から脱却し、澄み切った心、いきいきとした心で毎日を生きることができますよ」という、救いの世界へのよびかけのお歌です。
丸山の信心は、この二つのお言葉からもわかるように、親神様が教祖様を通して指し示された明るき道を歩むことによって、共に楽しく明るい幸福な人生、今を感謝し豊かな心でもって有意義な一生を送るための信心です。

2 : 親神様はどういう神様ですか、また何故「親神様」とお呼びするのですか?

親神様は、正式には「大元祖神(おおもとのおやがみ)様」と申し上げますが、教祖様は時に応じて、「元のおや神さま」、「天農様」、「元の父母様」ともお呼びになられました。また、「」一字をもって親神様を現わすこともあります。
教祖様は、親神様について「天地海三十(てんちかいさんとう)をもとのおや神と奉ると仰せられ、また「天地海三十を日の一つにつづめてみるとも仰せられています。
天地海三十は、現代風にいえば宇宙大自然のことです。教祖様は、この宇宙大自然を無限の寿命(時間)と空間をもった大きな生命体とみられ、また、万物の生命を生み出す丸い大きな巣として、時には「(まるす)」の言葉でもって表現しています。
そして、その生命体の働きを日の一つにつづめて観て、宇宙大自然即ち天地海三十のみ心を感受したのです。
そこには、当然、心(宇宙の意志)とその心が形となって現れた活力(生)があります。
これが万物の命と力の源元で、一切万象を生み育てる永遠のたんせい者でありますから、ゆえに大元の親神様と拝み奉られました。したがって、親神というのは、あらゆる現象を含めた宇宙全体にひろがった神、宇宙そのものである神、と申せます。
なお、教祖様は「源元にまつ人あるをしらずして 枝葉をまつるしんのあやまり」とお歌に詠まれて、私達のあやふやな信仰態度を戒め、親神様へのただ一筋の固い信仰を求めていられます。

3 : 丸山は親をたずねる信心と聞きましたが、それはどういうことですか?

幕末から明治維新の動乱期、日増しに治安が乱れるのを憂いて、「本当に万人を安らかにして下さる神様は、いずこにおわすのか」との聖願に衝き動かされた教祖様の親たずねの修行に由来します。
たずねにたずねて、やがて親が子を思う、見返りを求めぬ普遍な親心に行き当たったとき、すべてに赦されていることへの気づきがおこり、祟り、因縁、日の吉凶、方位方角の暗闇といったことが消滅しました。
そしてこの世界の本当の姿は、親神様が不断のたんせいによって作り出す明るき世界、日々是好日の世界、との悟りを得、その結果、親神様の親心を相続して、天下泰平・普く人助けの本願を立てられるにいたりました。
親心をたずねることは、丸山信心の根幹をなすもので、親心を相続したものには明るい世界がまっていると教えられています。

4 :法(ごほう)というのはどういうことですか?

この世の中の万物は、すべて時事刻々と変化しています。
今、若さを奢っていてもやがては老いがまっていますし、新しい物もやがては朽ちてゆきます。
不変なものは親神様の親心、御たんせいしかこの世にはありません。
森羅万象変化することは、親神様の御たんせいによることでありますから、この変化生成も、無法則、無秩序に行われているものではなく、そこには、一定の法則があり、秩序正しく運行され、そして親神様の親心が根底に脈々と流れています。

この普遍な法を教祖様は「法(ごほう)」と仰せられました。
法とは、「一天四海(いってんしかい)の法」ということです。
」の中央の「」が一天を現し、この大宇宙の生の源、大元祖神様の存在を示しています。
」は四海、即ち大宇宙、全世界を表現しています。

一天四海の法とは、親神様がこの世全体を御たんせい下さる基本の道(法則)、大宇宙をつらぬく真理・真実、即ち普遍の教え、という意味です。

5 : 丸山教の理想の世界は何といいますか、またそれはどういう世界ですか?

丸山教の理想世界を、教祖様は「日の出に松の御代」と仰せられています。
総ての生きとし生けるものが共存し、生命を謳歌した争い事のない絶対平和な世の中、絶対幸福な世の中といった理想の世界です。

なお、これから色々と話を進める上でお断りしておくことがあります。
それは、教祖様が大切な教えをお説きになる時、正しく、清く、美しいなどという言葉をあまり使われず、それよりも自然な姿、景色などイメージ的な表現を数多く使われているということです。
例えば、この「日の出に松の御代」もそうですが、一分心とか尺の玉、あるいは悪気黒玉といったように、心に浮かんだ心象を大切にしています。
教祖様の教えを読む時、この点に注意が必要と思います。

さて、日の出に松の御代の話に戻りますが、御神前も日の丸の掛軸を掛け、青々とした松の枝を供えて、日の出にの平和な世界を表わしています。
御神前に座れば、心が自然に安まるのも、無意識裡にそういうイメージを導入しているからかもしれません。

6 : ひとしの心とはどういう意味ですか?

親神様の普遍な親心、平等愛を「ひとしの心」と仰せられています。
光明遍照、即ちお日様が分け隔てなくお照らし下さるように、この世も見る目をかえれば親神様の慈愛が満ち満ちているひとしの世界です。

ひとしの心というのは、教祖様がお開きされた丸山教独自の字体で「(む)(人四心)」と書きますが、元は「無」という字からきています。
この無ということは、特に仏教において「空」と共に重要視され、一般にも無私、無欲などとつかわれています。
たとえば欲は誰にでもあります。生きている限り欲はついてきます。
しかし、この欲を満足させようとしても、実際は相手があり、叶えられることのほうが少ないことでしょう。
するとこれは不平不満となり、欲を持つこと自体がある意味で苦の種となってしまいますから、仏教などでは欲をなくして無になれというわけです。

また、人を好きになるのも同じ事でしょう。
一寸客観的にふりかえれば、好きになった相手を知らず知らずのうちに自分の思いどおりにしばろうとしている自分に気づきます。
よく結婚前は良いところしかみえないのに、結婚したら悪いところばかりに目がゆき、こんなはずではなかったなどと言う言葉を耳にしますが、これは本質が自己愛(欲)だったからでしょう。
ひとしの心は、人を好きになるな、欲望を捨てて無になれ、と教えられているのではありません。
このような自己愛を超え、相手の欠点も含めて愛する心といえます。
無は、「何もない」といった否定的な意味ではなく、教祖様は肯定的にとらえられて、隔てがない、平等愛、無分別の愛とお開きされたのです。

7 : 一分心(いちぶしん)という言葉を耳にしますが何ですか?

一分心(いちぶしん)は、親神様から授けられた本生(ほんしょう=魂)、分霊です。
一分心とは、教祖様が親神様と人間の魂を形の大きさで現わしたもので、赤丸(火)で示されています。
一尺を親神様の大松霊とされ、人間に授かった分霊を一分で現わされました。
大きさは違いますが同じ性質であることを示しています。

なお、一分心は別に「松農心(まつのうしん)」ともいわれております。
松農心は、魂の性質を端的にいった言葉で、「和合たんせい」と解されます。
すると私達人間は、本質的には「和合たんせい」の種をもっているということになりますから、覿面の今に心をしっかりおいて、人と和合し、たんせいにいそしむ時には、苦労も楽の種となり、必ずや内在された一分心(たましい)が満足して、幸福感を味わうことが出来るということです。

8 : なぜ御神前にお日の丸の掛軸をかけるのですか、またお日の丸はご神体なのですか?

教祖様は、明治7年9月21日より富士山八合目の室で、二十一日間の断食による入定修行を決行されました。

その修行の七日目、9月28日でしたが、憔悴しきった心身には苛酷な状況が続き、ついには極限を超えて今にも死にそうな状態に陥ります。
その時、夢うつつの中で尺取虫(恨み、つらみ、妬み、怒りなどが凝縮されて心象としてあらわれたもの)が全身にたかっているのに気がつきました。
一瞬、「ああ、おぞましい」と尺取虫を払いのけようと手をあげますが、瞬時に「生あるものは助け給え」との聖願が身体をつきぬけ、その手が思わず止まりました。
すると、その時教祖様の心に変化がおこり、ぶるっと身震いすると、心がすべての執着から離れて忽然と大悟されました。
急にあたり一面が明るくなり、背中があたたかいので振り返ると、室の北の戸に煌々と日の丸が現われていて、これが親神様の神霊と確証されました。
後に、「これがお日の丸の拝み初め」と教祖様は仰せになり、以後、お日の丸は、親神様の御神璽として定められ、信心の目印となって御神前に日の丸の掛軸をかけるようになりました。

なお、教祖様は、「掛け物はのけてもよい、のけてものかぬ信心だよ」とも仰せられています。
私達は、日の丸をとおして、親神様の親心を信仰することに重点がおかれていることを忘れないようにしなければなりません。

9 : 修行はどのようなことをするのですか、また何のために修行するのですか?

親神様から人間は一分心を授かって生まれてきたと信仰しています。
この一分心は和合たんせいを包含した種のようなもので、どのような和合たんせいの人生を送るかは人それぞれに任されています。
これを教祖様は「一分心の委任」と仰せられていて、よりよく生きるもより悪く生きるも、その人のたんせい次第となります。

そういう意味では、広義に解釈すれば人生そのもの、毎日の生活が修行となります。
中でも社会奉仕、人助けは重要な修行と位置付けられています。
具体的には、拝み、身祓い、富士登山など幾つかの信心行があり、中でも日の丸に向って天明海天を唱えて拝む拝みの修行が信心行の中心です。
拝みなどをとおして、親心の悟りを求め、また、心のほこりを祓う詫び入れ=反省懺悔が修行の本体です。
自らの心を浄化し毎日を明るく生きるための修行といえます。 

10 : 奉仕についてどのように考えられているのですか?

教祖様の本願は、「天下泰平・普く人助け」ですから、奉仕はその実践としてとても重要視されています。
奉仕をする心のありかたは、「してあげる」心ではなく、自分の信心修行として「させて頂く」心が基本です。

ところが実際には簡単なようで、実は大変難しい側面があります。
例えば、世間では、奉仕のことをボランティアと言っていますが、この言葉を広辞苑で引くと、志願者、篤志家、奉仕者とあり、自ら進んで社会事業などに参加する人となっています。
奉仕も、本来の意味はつつしんでつかえることであり、無償で献身的に社会のためなどにつくすことですから、意味はまったく同じです。

しかし、この頃は有料ボランティアという言葉が出てきました。
なぜかというと、ボランティアを受ける人にとっては、その世話を受け続けているとそれが重荷になってきて、徐々に卑屈になっていく傾向があり、これをたとえ僅かでも代価を負担する事で、精神的な軽減をはかることにあるようです。
世話する側と世話される側の立場の違い、難しさが絶えずつきまとっています。

ではどうしたら良いのでしょうか。
教祖様の逸話から考えると、「させて頂いた」ということさえ忘れてしまうことに秘訣があるようです。
しかし、そうは言っても凡夫のならいでなかなか忘れることは出来ません。
その時は、今ここで、させて頂ける立場にいられる事、それだけで何事にも代えがたいお陰を頂いている証なのだと受け止め、親神様に感謝してしまったらどうでしょうか。
素直に自分の立場を感謝することで、おごりや慢心を抑えることが出来ると思います。

なお、教祖様は、十国柱の教えにおいて、奉仕を人格完成への修行と位置付けられております。
思いやり、忍耐力など、奉仕は私達の信心の資質を問い掛けているようです。

11 : 拝みは信心行の中心と聞きますが、どのような気持で拝むのが大切ですか?

拝むうえで大切なことがあります。
それは、助かっていることの自覚、感謝ということへの気づきです。

私たちは、拝むというと、すぐに何かを神様にお願いすることと思いがちです。
例えば、困難なことにであったとき、「神様助けて下さい」とすぐに拝んでしまいます。
もちろんお願いする拝みがいけないわけではありませんが、感謝の拝みがあげられるようになることが理想です。
「拝める」ということ、そのこと自体にすでにお助け(救い)があるのではないでしょうか。

私たちは、四六時中神様を念頭において生活しているかというとなかなかそうは簡単にできません。
心掛けていても、つい色々な事にとらわれ忘れてしまうのが実情です。
そんなあやふやな信心しか出来ないのが凡夫のならいでありますが、それでも、時に応じて無意識に「天明海天」の御神言が口をついてでてくることが、信心している人にはよくあります。
自分の心に振り返ってみても、怒りが心頭に達しているその時に、自らの力で御神言や拝み詞を思い出し唱えることがはたして出来るかというと、正直それは心もとないことであり、親神様からの働きかけ(救い)があって初めて唱えることができるのだと思います。
そして、その口をついて出た言葉、御神言は、暴走しようとする心にまちがいなくブレーキをかけてくれる力となっています。

拝める人と拝めない人を比べるわけではありませんが、怒っている最中に、神の言葉があるのと無いのとの違いを考えれば一目瞭然です。
後のことがまったく違って来るでしょう。
悲しいとき、辛いとき、心底から呻き声を発したくなりますが、そこに神の言葉があれば、きっと慰められ癒されます。
神に願わなくとも、そこに神がある、拝めるということ、それ自体の中にすでに救い、お助けがあるのです。
拝めるということは、いいかえれば救われている、神からの働きかけがあることの確認ということになるでしょう。
いわば拝みは、その自覚と感謝の表明になるのです。

最初は、お願いの拝みでも結構です。
毎日拝んでいるうちに、必ずや神様の方からしらずしらずのうちにおはたらきかけ、お導きがあり、気がつくと感謝の気持ちで拝んでいたということがでてきます。
どうか拝んでみて下さい。 

12 : お願いが叶うと御利益を頂いたといいますが、御利益って何ですか?

教祖様のお言葉に、「不思議はめでたいものではない」というおさとしがあります。
この言葉と合わせて考えてみたいと思います。
私たちが神様にお願いするのは、たいていが不幸に遭遇した時です。
「この病気を治して下さい」とか、「この悩みを救って下さい」といった目に見える御利益をお願いしてしまいます。
そして、その願いが叶ったとき「不思議を頂いた」とか「御利益を頂いた」と通常ではなるわけです。

しかし、どうでしょうか。
この「不思議」や「御利益」はめでたいといえるでしょうか。
不思議を頂くことより、日々の和合とたんせいによって明るい生活が出来る、即ち不思議やそのような御利益を願わなくてもよい平穏無事な生活の方が、本来有り難いことなのではないでしょうか。
教祖様は、それを「まつげ」の譬えでおさとし下されています。
私たちは、目(視覚)、耳(聴覚)、口(味覚)、鼻(嗅覚)、皮膚(触覚)の五感がそなわっていますが、その中で生活に最も活用している感覚は視覚です。
停電で突然真っ暗闇になったときの経験が何方にもあるでしょうが、それこそ右往左往していかに視覚に頼っていたかがわかります。
まつげは、その視覚の「目」を保護するまぶたの縁についていて、ほこりなどの異物が入って、眼球を傷つけたりするのを防ぐ重要なはたらきをしており、そのお陰で私たちは何不自由なく目を開け、日常の生活をいとなむことが出来るのです。
ところが、そのまぶたは、目に近すぎて見えませんし、ほとんど意識されることもありません。
それと同じように、親神様の御加護を始め多くのお陰を頂いて日々平穏無事な生活ができているにもかかわらず、それがあたりまえのことになり、感謝の心もいつしか希薄になって、新たな欲にかられて不平が生じて来ます。

教祖様は、今日あること、平穏無事なあたりまえの中に、すでに有り難いことがあるのだと、まつげのたとえをもっておさとし下されているのです。
御利益も不思議と同じように、願いが叶えば良いというものではありません。
欲から出た願いが叶ったお陰で、逆に不幸にならぬとも限りません。
場合によっては、叶わぬほうが後々の為になるとの親神様の思し召しかも知れないのです。
大事なことは、神の御心に全てをおまかせし、願いが叶わぬことも御利益と受けとめて今をしっかりと生きれることが本当の御利益と申せます。

教祖様は、ご一生をかけた信心生活を通して「普く人助け」が御本願でありましたから、病気治しや様々な奇跡、不思議を現わされましたが、それでも尚、不思議がなくても楽しい人生が送れる、自らのたんせいでお開きすることに重きをおかれて、不思議はめでたいものではない、と仰せられているのです。 

13 : 拝みで「天明海天」を唱えますが、どんな意味があるのですか?

拝みには、拝み詞と御神言の二つがあります。
拝み詞は、教祖様の御教えを普通の知識で誰にでも理解することのできるようにつくられていますが、御神言は、その宗教の信仰全体を僅か数語に圧縮した宗教的感激の極致を表した言葉です。
そのため普通の知識で理解することは難しく、御神言の意味を知るということは、御教え全部を理解するということでありますし、また逆に御神言の意味を理解できれば、悟りを開いたとも申せます。

そういう意味で御神言は、御教えの中でも最高、最上の言葉(教え)と申せます。
天明海天(てんめいかいてん)の意味は、親神様のみたまと人のみたまが和合した神人合一の境地を、自然の和合の世界を通して表現したものです。
天明、即ち日の光が、海天、青々と広がる大海原から昇りさしこめてくる時、空も海も日の光で一つに溶け合い和合して金色に輝く世界があらわれます。
この時の情景を、親神様と人が和合したよろこびにたとえて仰せられたのであります。
即ち、親神様(天明)の光が、信心行によって詫び入れ(掃除)して澄み切った人の心(海天)の中にさしこみ、一分の心が万灯(尺の日の丸)に開いて光り輝く、和合の世界、悟りの世界をあらわしたお言葉というわけです。

また、天明海天は天命回転とも受け取ることができます。
天命が信心行によって好転する、いわば親神様から委任された一分心をもとに和合たんせいにつとめて、自分の人生をお開き(回転)するという修行の誓いをあらわしたお言葉という意味です。
私達が天明海天をお唱えするとき、そのような意味をふまえて「親神様の御心に近づく、歩む」という覚悟を持って唱えることが大切です。

14 : 天明海天にはどんな由来があるのですか?

教祖様が、「天明海天」の御神言を初めて定められたのは、明治17年9月9日の御書行からです。
しかし、これより先の明治15、16年に、後に「海を渡る六ケ国の修行」とよばれた駿河、伊豆、相模、武蔵、上総、安房の六ケ国を御巡教になられ、特にこの中でも、安房上総へ巡教のために東京霊岸島より船で向かわれたときのことが大きな要因になっております。
この巡教は、明治16年3月24日、霊岸島より御乗船になられ、上総の木更津へ向かわれたのでありますが、この途中の海上で大時化に遭遇され、海が荒れることが如何に恐ろしいか、御身をもって御体験なされました。
そして後に、この海が荒れることと、人の心が荒れることを結びつけて、海を鎮め、人の心、腹海を鎮める御神言として「天明海天」をお定めになられたのであります。

なお、腹を海にたとえて腹海といったり、腹に人の心の一番深い心が宿ることは、古くから言い伝えられてきたことです。
日常でも、腹を立てる、腹をわる、腹をおさめる、腹にしまう、腹をきめる等と「意志」に関わる深い心の言葉として使われております。

教祖様の場合、腹を海にたとえられ、海の荒れと心の荒れとを結びつけてお考えにられたのは、ただ昔から伝わる言葉の上からのことではなく、大時化に遭遇された御体験をもとに、海の荒れは風で起こり、腹(心)の荒れは息の荒れで起こるという悟りからであります。
海が荒れるのは、風のせいです。
ですから、海をおさめるには風を鎮めなければなりません。それと同じ理で、腹海の心の荒れは、体内の風、即ち息の荒れととらえられ、その息の荒れをおさめることだとおさとし下されたのであります。

天明海天を唱えて拝むことは、直接には息の修行となり、吸う息、呼く息の調和、和合でありますから、徹底して拝めば心もおのずと澄みきってきます。天明海天の御心に近づくよう拝みに励んで下さい。

15 : 光心(こうくうしん)てなんですか?

人は心に悩みを持つと、そのことにとらわれ続けて、ともすると悩みに悩んで新たな執着を生み出します。
心がそのようにして悩みで一杯であれば、何時までたっても悩みを解決する素晴らしい知恵が浮かぶことはありません。
そのようなときは、心を一度からっぽにすることが大切です。心がからっぽになって始めていろいろなものが観え、悩みを解決するだけの知恵がわいてきます。
よく、「ひらきなおってやってみたら、案ずるよりうまくいった」という言葉を耳にしますが、これも意味は同じことでしょう。

心(こうくうしん)は、光空心とも虚空心(こくうしん)とも書きます。
澄み切った青空にぽっかりと自分が浮かんでいるような気持ちとか、虚空心即ち心がからっぽで静かな状態をあらわしたお言葉です。
この光心になると、心が執着することがありませんから、ものに対しあれこれとこだわることやとらわれることはなく、おおらかで、いつでも目の前のことに集中することができます。
そしてこの状態になると、人の心は神様の御心のように「人四(ひとし)の心(等しの心=平等、無分別の愛)」がわきでて、明るく、温かく、力強く、いきいきとした心になります。
暗く冷たい心や弱々しい心は入り込む余地がありません。
心は、いいかえると拝みの極致といえましょう。

拝みは、前に心のほこりを祓う詫び入れが修行の本体と申しましたが、息を整え、この光心になるための信心行でもあります。

16 : 手前官とか、かん違いという言葉を耳にしますが、どういう意味があるのですか?

金持ちでも不幸な人があり、貧乏でも幸福な人がいます。
金持ちは幸福、貧乏は不幸ということはありません。
病人でも幸せに生きている人もあれば、健康でも不幸せな人がいます。
人の不幸や病気は、日の善し悪し、方位方角の暗闇よりも、主として心の持ちようが原因です。

自分の心でありながら、わかっていてもささいな物事にも執着し、恨み、妬み、怒りといったところからなかなか離れることができません。
そのような自らの心のはたらき、これを教祖様は「かん(官)」と仰せになり、特に自分を不幸にする心のはたらきをさして、「手前官」とか「かん違い」とお開きされました。
かん清浄といった場合は、自分や人に仇する手前勝手な心を祓うという意味です。

なお参考までに、心をゆがめるもの、一番は感情の抑圧(ストレス)ですが、これを悪気黒玉と仰せです。
当然悪気黒玉やかん違いといった心のほこりがなくなれば、人の心は明るくなり、病人のままでも幸せに生きるだけの力が湧き出てきます。


17 : お里帰り(おさとがえり)とはどういうことですか?

一切衆生は、親神様の御たんせいにより親神様の分霊、一分心(命)を授かってこの世に生まれ、また、生かされています。

そこで、いのちについて先ずは考えてみたいと思います。
教祖様は、私たちのいのちのことを、「松十一の生(まつじゅういちのしょう)」と仰せられています。

「松」は、丸山教では神木とされ、時には「松」の一字でもって親神様をあらわしています。
松を神木としたのは、古来からのことで、今でも正月の門松など各地に見受けられます。

「十一」とは、元と末、即ち始めと終わりという意味です。
私たちは、親からいのちを受け継いでこの世に生まれて来て、今度は自分が親となって子供にいのちを伝えて、死んでゆくのであります。
私たちのいのちは、自分一代に始まって、自分一代で消滅するいのちではなく、親から子、親から子へと先祖代々をとおして伝えられたいのちで、また、親から子、親から子へと子孫代々へと受け継がれてゆく永遠のいのちなのであります。
親を「十」とすれば、子は「一」、親子、親子は、十一、十一というわけで「十一の生」と仰せられたのであります。

「生」は、申すまでもなく、いのちということです。

このいのちも元は親神様の御たんせいによるものです。
何より親神様の分霊一分心を授かって生まれてきています。
当然この世での役割りが終われば、生まれた元の世界、親神様の元へ帰ります。
弱いものほど助けたいとの親心のもと、生前の能力の優劣、善悪の度合いなどに関係なく、一切の衆生が生前の罪穢れを赦されて、魂のふるさとへ帰るところから死を「お里帰り」と申します。

18 : みたまを「松霊」というのはどうしてですか?

松霊(みたま)は、音読みでは「しょうれい」と読みます。
しょうれいは、元は「精霊」で、しょうりょうと読み、肉体または物体から開放された自由な霊、死者の霊魂といった意味です。
ちなみに「精霊流し」といえば、盆の十五日の夕方、または十六日の朝早く、供物や灯篭を川に流し精霊を送る行事ですし、「精霊祭」と書くと、盆の魂祭りを意味します。

ところが、魂祭りといっても、精霊の意味が甚だはっきりしていません。
教祖様は、すべての魂は親神様の分霊であるということから、親神様(=松)の霊とお開きされ、松霊と改められました。
なお、霊は、たま、たましいと読ませることがあり、尊称語の「み」を頭につけて、この「松霊」も時に応じて訓読みし、「みたま」とあてるようになりました。

人のみたまは、親神様と同根同体、和合の霊であることを「松霊」の言葉でもって明らかにされています。


19 : 報恩録は過去帳とは違うのですか?

報恩録と過去帳は帰天者を一冊の折本に記載するということでは似ていますが、その性質は違います。

報恩録は、その家の先祖代々を始め御帰天(お里帰り)された方をお祀りするみたましろ(霊璽)です。
報恩録は、一冊の折本になっていて、先ず最初に親神様の松霊、続いて教えの親の教祖様ご夫婦の松霊、次にその家の先祖代々の松霊、その次にお里帰りされた方の松霊が順次祀込まれるようになっていて、神様とご先祖様の松霊を一体としてお祀りするようになっております。
これは、親神様と人とは親子の関係、松農という等しい心で結ばれておりますから、亡くなれば親神様の元へ総ての松霊は帰って、親神様の大松霊と一つに溶け合う、即ち帰一融合するとの教えを形に現わしたものです。
世間一般では、神様と祖先のみたまとを別々に祀っておりますが、このように報恩録をとおして、丸山教では親神様とご先祖の松霊を一体として祀ります。

人は、親神様の分霊「一分心」――親神様の松霊を一尺、人の松霊を一分の大きさであらわしたところから人の松霊を一分心と呼び、その本性は親神様と同じ松農である――を頂いてこの世に生まれてきました。
ゆえに、死ねばまた松霊のふるさと、親神様の元へどんな松霊も別け隔て無く帰れるのであります。
ここに親神様の親心、無分別な愛、大慈悲があらわれているのを教祖様はおさとりになられて、死ぬことを、「お里帰り」といい、また、「親から生まれ親に帰る一天一筋の道」とおさとし下されたのであります。

報恩録とは、そのような意味を含んだみたましろでありますが、過去帳は寺院などで檀家の死者の法名、俗名、死亡年月日などを記し置く帳簿です。
起源は古く鎌倉時代にさかのぼるようですが、江戸時代の檀家制度によって、戸籍簿の性格をもって定着しました。
別に鬼籍、鬼簿、霊簿などともいいます。個人宅に置く過去帳は一見すると報恩録と似ておりますが、その性格はまったく違うことがわかります。
なお、鬼という字が使われているのは、鬼(おに)は隠(おに)で姿が見えないという意があり、この場合、死者の霊魂、亡霊をさしています。


20 : 霊璽から報恩録に祀り替えを行うのはどうしてですか?

白木の霊璽から報恩録に祀り替えを行なうのは、百日祭の時と定められています。

白木の霊璽が、帰天後直ぐに遷霊祭で一つ作られるのに対し、報恩録は三冊作られていて、この三冊は、本庁松霊殿、所属教会、自宅の三ケ所で祀られています。

本庁、教会所は大勢の信者が参拝する公の所ですから、一切衆生をご守護下さる神霊に昇華したことを、報恩録に祀り替えする形で現わしています。なお、帰天後百日祭までは、松霊が親神様の大松霊に融合するための移行の期間と考えられています。

21 : 位牌と霊璽(れいじ)は違うのですか?

霊璽は読んで字の如く帰天した人の松霊を祀るしるしです。
それに対して、仏教にも祖先を祀るものとして位牌があります。
この原形は中国の古い葬儀の中にあり、読んで字の如く、亡くなった人の生前の位階勲等などを表記して、故人の功績や名誉を顕彰したことに始まります。
宗教的というよりも社会的な性格をおびたものです。

日本には古来から、よりしろと称して神や故人の霊が宿るための木の枝、立木、柱等を立て飾って祀る儀式があり、また、祖先崇拝の盛んな国でした。
仏教は、インドに生まれた宗教で、開祖の釈迦が亡くなる時、葬儀は民間の風習にまかせ、出家者(僧侶)は修行に専念せよと言い残されたと伝えられているように、本来は葬儀に関わることはありませんでした。
しかし、日本に土着するには、祖先崇拝の形式が必要で、それに似せる為に仏教の儀式の中に位牌が取り入れられました。

22 : 仏教は死者につける名を戒名や法名などといいますが、これに代わるような名はあるのですか?

仏教の場合は、宗派によって違いがありますが、主には戒名や法名を位牌に書きます。
戒名は、本来出家し戒を受けた者に与えられる名前で、死んでからつけられるものではありませんでした。
ところが、死ねば仏の世界(浄土)へいき修行を修める、死後地獄におちるのではなく浄土へゆきたい(ゆかせたい)という願いから、定着したものと思われます。
しかし、位牌は称号を記す性格が残っておりますから、霊璽が葬列のときにも祭壇に安置しているのに対し、多くの人にみせるために葬列の中に加えて持参するといった違いがでてきます。
故に戒名や法名は個々人に別々の名がつけられます。

丸山教では、諡と称し報恩録や霊璽(百日まで)に、男性なら全て、

「心天寳 清徳皇行」

女性なら、

「心天寳 地徳皇行」

と書きます。
諡は人の死後に、その徳をたたえて贈る称号ですが、これは前にも申し上げた通り、親神様からご先祖様をとおして伝えられたいのちはすべて平等、ひとしの心であるとの教えによるからであります。
人間の社会には、貧富の差を始めさまざまな差別的なことがありますが、親神様から授けられたいのちにおいての尊さ、生きた尊さの比重は本来比べようがなく、まったくの無分別、平等であることを示しています。

心天寳は、宇宙の法をあらわし、親神様の無分別の愛、ひとしのを心を意味しています。
そしてそのはたらきが陰陽にあらわれ、清徳皇行、地徳皇行、即ち父性的あるいは母性的なはたらきの性質(魂)を授かって生まれてきて、この世を生きぬいた人ということです。
前項の霊璽と位牌、戒名と諡など、似てはいますがその信仰を元にしているだけに内容、意味が違ってきます。
報恩録等の意味がわかれば、自ずからいのちの尊さをあらためて実感でき、感謝の心もわいてくるのではないでしょうか。 

23 : お調べ日記というのは何ですか?

お調べ日記は、正式には「丸山教祖真跡御法お調べ」といいます。

教祖様が明治21年旧6月から明治27年3月のお里帰りされる直前まで、御信心を始められた由来やご修行の顛末、御教え、その他いろいろな事をもう一度思い返し、よく調べてこれを後世に伝えるために、折にふれて書き続けられた丸山教の根本教典のことです。

字数は、全体で約35万字にのぼり、全八巻として原本を本庁で保管しています。

24 : 十国柱(じゅっこくばしら)というのはなんですか?

教祖様は、明治21年10月に本庁御法殿の前に大きな御影石の柱を建てられました。
これを十国柱(じゅっこくばしら)といいます。十国というように、十の国になぞらえて、人が遵守すべき道としての宗教倫理を示されたものです。


25 : なぜ「松」を御神前にお供えするのですか、また榊ではいけないのですか?

御神前に松の花をお供えするのは、教祖様が丸山教の創世神話に取り入れられた高砂の松の話がもとになっています。

我が国では昔から松は神を祭る神木とされて来ました。
一例を申せば、お正月の門松です。元はお正月も祖先を祀る祭日で、松はそのよりしろでした。
その風習が今もって門松として世間一般にも残っています。

丸山教においては、その上に、松農の意味などからもわかるとおり、松を「和合」の象徴として一層尊んでおり、そのようなわけで、松の花を御神前に供えます。

なお、場所によって松が手に入りにくくお供えできないときは、松の代用として榊などの常磐木を供えてもよいことになっています。

26 : 御神前には何をお供えすればよいのですか?

御神前に供えた飲食物を総称して神饌といいます。
飲食物を供える行為は、献饌といい、古来から伝えられているものです。
特に祭典において神饌を供えることは、重要な一要素になっており、祭典の規模などによっては、神饌物も数十種類におよぶことがあります。

神饌には、神の御加護を頂いて収穫されたものを感謝を込めて献じ報告するということと、もう一つは、神と人とが一緒になって同じものを頂き、神のみたまのやどったものを体内に取り込むことで、弱くなったたましいを蘇らせる、神人饗応の意味があります。

毎日の御神前にお供えする神饌は、

 1.米(お洗米)

 2.塩

 3.水

の三種です。もちろんその他の物をお供えしてもかまいませんが、この三つは食料の基本で、私達人間の生命を維持する最も大切なものでありますから欠かすことはできません。

なお、戴き物があると、先ず御神前にお供えしてから家族皆で頂く習慣がありますが、これも献饌のなごりと思われます。このような習慣を無くさず、毎日親神様に感謝の心をもって献ずることが大切です。