神の光 奢りを捨て謙虚さを 平成23年9・10月合併号

今年の残暑は例年になく暑さ厳しく、9月中旬にさしかかっても30度を超す日があった。9月11日は、東日本大震災から丁度半年を経(へ)、また10年前には米同時多発テロが起きて世界貿易センタービルが崩壊し、世界に衝撃と恐怖を与えた日でもある。被災から免(まぬが)れた多くの人は、天災とテロの違いはあっても、大惨事の中で助かった幸運に感謝し、今後の人生を無駄に出来ないと考えて、前向きに生きようとしているそうだ。

しかし中には、直前まで一緒にいた家族を始め友人知人を一瞬のうちに失ったつらさが心に深い傷を残していて、10年を経た今もメンタルケアが必要な程の痛ましさを抱えた人もあるという。福島の第一原発もしかり。放射能漏れ事故は未だ深刻で、不自由な避難生活をしいられている人達は多数に上り、特に高齢者や子供達の精神的負担はいかばかりか想像に難(かた)くない。

そんな中、それでも復興に向けて歩み出している時、経済産業大臣の「放射能がうつるぞ」といった軽々(けいけい)な発言と行動は、一国を担う大臣としての真剣さ、資質が余りにも欠如していて引責辞任も当然なことである。冗談でも「やっていいこと、やってはいけないこと」「言っていいこと、言ってはいけないこと」の分別(ふんべつ)をわきまえる事が如何に大事なことだろうか。

思えば、「人の噂も七十五日」と言う。時間が経つと、その時の感動や感謝、また苦難に直面している被災者にたいする思いも薄れてくる。事件事故に対し、ただ批判するのみでなく他人事(ひとごと)のような行動や言動がないか、神教の一節「不覚(すずろ)に知らで犯せる罪咎(つみとが)」の言葉を思い浮かべて、改めて自分の心に問いかけてみたい。

奢(おご)りや慢心は得てして口を滑らし人を傷つける。教祖様のおさとし、「しまつつつしみたしなみ」の心こそが、自分を戒めて謙虚にし、何時の時代でも自分を救ってくれる。