神の光 復興を祈る 平成23年6月号
東日本大震災は未曾有の大災害で、特に東北太平洋沿岸の各市町村の集落は軒並み大津波に呑み込まれ、壊滅的な被害を蒙(こうむ)った。また、福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故も事態は深刻で、周辺住民は避難を余儀なくされている。復興には未だ目処(めど)が立たず、相当の時間と労力が必要となるが、家族を失い、職を失い、生活の場を失った人達の今の思いはいかばかりか。
確かに文明の恩沢(おんたく)なくして、現代の利便さ、豊かさは有りえない。しかし、今回の大震災では「想定外」との言葉があまりに多く使われたように、人智で想定した枠を遥かに超える大自然の凄(すさ)まじい力を見せつけられた。原発の安全神話が崩れた今、これを契機として今後文明全般とどう向き合って行くのかが問われている。
教祖様のお言葉に「文明をとりて天明を肥やす」とある。自然の恩恵の上に全てが成り立っていることもまた事実であれば、自然を克服するといった高慢な態度を捨て、如何に共存してゆくか、敬虔(けいけん)な心構えを人類全体で構築し、丸山では「しまつつしみ」、一般には「質素」の言葉でも良いが、浪費癖(ろうひへき)から離れたこの精神を共有していかなければ未来は見えてこないだろう。
しかし毎日の報道によると、その一方で少なからず希望も見えてきている。多くのボランティアや義援金等を通した支援の輪が大きく広がり、また、国内にとどまらず外国からの救援も有り難く心強い。教団内においても、義援金の呼び掛けに多くの方が真心を寄せて下さり頭が下がる。
個々の力は微力であり限度もあるが、大勢の人の思いやりの心が結集、和合すれば大きな力になって行く。「たんせいはすたらんもの」とのおさとしの通り、あきらめずにたんせいを重ねてゆけば、元の場所での安住は難しくとも、必ずや地域ごとに復興し安全で安心な時が来る事を信じたい。
今後も教祖様の本願「普く人助け」のご精神に自分はどのように向き合うのか、改めてこのお言葉を篤(とく)と噛みしめ、復興への一助になるような行動と祈りを捧げよう。