神の光 2025年7月号巻頭言 一途さゆえに
ミスタープロ野球と呼ばれた長嶋茂雄さんが去る六月三日に逝去された。思い返すと、子供の頃は「巨人、大鵬、卵焼き」との言葉が流行し、巨人と言えば長嶋で、その華やかなプレーぶりには皆熱狂し、ブロ野球が国民的スポーツになっていった立役者である。
長嶋さんには、名言・迷言?が多数あり、何冊もの本となって世に出回っている。その中で心惹かれる言葉を拾ってみた。
「スランプなんて気の迷い。ふだんやるべきことを精一杯やって、土台さえしっかりしていれば、スランプなんてありえない」(教祖さまの、「塔は下から組め」か)「何か一つのことに脇目も振らずに打ち込める時期を持てる人は幸せかもしれない。今の若い人達はのめりこめるものを見失っている」(教祖さま=人の心しだいにして、身のたすかりとなるもの)「若いプレーヤーが昔のように心から感動したり、感動しきれない。それは、やはり時代でしょう。だけど感動を知らない人生というのは、何か生きている味わいみたいなものがないわけです」(教祖さま=人生はたんせい)
等々があげられ、これらの言葉を咀嚼し、そして他にも「雨を喜び、風を楽しみ」とあると、何事にも逃げることなく向き合い、あるがままの自然体の後ろに、自分が今なすべきことに対する直向きさ・一途さが感じ取れて来る。天才肌と言われながら、ご本人は努力の人と言っていたというのも、「自分より練習した人はいない。そう考えると怖くなくなる。すると楽しくなる」の文言でうなづける。
晩年のリハビリに励む姿も含めて、人生を貫く一途な生き方は多くの人に勇気や希望を与えたことに間違いなし。思えば、教祖さまも幕末から明治の動乱期、世上は暗闇、困窮する民を見て只管天下泰平を祈念し、絶えず難儀が降りかかる中でもこれにめげず、只々一途に信心の道を歩まれた。やがてその一途さは万民の心を打って開教するに至る。この「一途」、教祖さまは「たんせい」と開かれた。「何事もたんせい」「たんせいはすたらんもの」とあり「ひらくたんせいは、わが身のため」とあれば、一途さを忘れずにたんせいに励もう。