神の光 2026年1月号巻頭言 覿面の今に心を置き

天地海めぐる月日の心しれ 昔もいまだ生はかわらん

このお歌は、教祖さまが過去から未来永劫変わる事無き親神さまの不変な親心、御たんせいを褒め称えて詠まれたもので、元日の朝に、即ち年改まる最初の御神前で、心を新たにして額づき、三度復唱せよと仰せられているお歌である。わざわざ三度唱えよというのにも意味がある。よくよくこのお歌の本意を噛みしめ、これを心に刻んで親神さまの御たんせいを目安にして、一年の計を立てよとのおさとしにほかならない。

教祖さまはまた、「正月は関所」とも仰せられている。万物のいのちは全て親神さまのおはたらきによるもので、大いなるものの世界から生み出され、目には見えぬとも大いなるものに支えられて今を生き、有限の寿命が尽きれば、また大いなるものの世界へ帰っていく。「地獄極楽」は生きている者の心次第、教祖さまは「地獄極楽は身の内にあり」といい、死を「お里帰り」といわれたのは言い得て妙。先祖を偲び、国学者で歌人の窪田空穂の「今にして知りて悲しむ父母がわれにしまししその片思い」ではないが、見返りを求めぬ親心に行き当たった時、全てに赦されていることに気づき、絶対の安心を得ることが出来る。


さてさて有限の寿命。折角この世に生み出されたこのいのち、一年一年、否、一日一日を如何に生きるのかと教祖さまに問われている。幕末の動乱期、治安は乱れ、困窮する民を見るにつけては心を痛め、一人一人のいのちをこよなく慈しむ中で、「日本神国、八百万の神という。どこかにこの窮状をお救い下さる神がありそうなものを」との発心から、「穀草王世を思うゆえに世をすててなげきなげかす我が子我が妻」のお歌を詠まれたように、自らの安穏な暮らしを捨てられて難行苦行に埋没し、「天下泰平・普く人助け」て聖願を立てて開教に至ったことを思う時、努々いのちの重さ、尊厳さに心を置いて今無事ある事に思いをいたし、ともすると生ずる不平不満の虫を蔓延らせる事無く、覿面の今を大切に生きねば申し訳が立たぬ。たんせいはすたらんもの、このお言葉を糧にこの一年を乗り切ろう。