神の光 2026年2月号巻頭言 梅一輪

今年の元日は風もなく長閑な天候。二日は寒気が入って冷え込み風花が夜半に舞ったが、直ぐに天気は回復し、日中は澄み切った青空が広がる快晴で、太平洋側は松の内を過ぎても恵まれた天気が続いた。世の中、毎日が穏やかで、平和な一年になればと思う矢先に、島根県東部を震源とする震度5強の地震が起き、日本海側は大雪にも見舞われて被災された人々の心情を思う時、心が疼いて来る。

境内の早咲きの紅梅、例年だと大寒を過ぎる頃から深紅の蕾が膨らみ始め、如月の声を聞くと一輪二輪と咲き出して、立春を迎える頃には満開となるのだが、今年はどうしてどうして新春の温かさ、陽気につられたか、気がつくと蕾が開き、松の取れる七日には一輪開花した。指先ほどの小さな花ではあるが春を告げるかのようで、心が温まる。

自然の摂理とは言うものの雪かきしかり、北国の人たちの御苦労を考える時、いかにこの地は恵まれている事か。紅梅の開花もしかり、早い遅いはあれども、この咲くことが当たり前と思える事の中に有り難さが潜んでいる。何事も平穏無事ほど有り難い事はないのだが、往々にして忘れがちで、心のどこかに不平不満を抱えているのも、与えられた有限の命にもかかわらず、今日も明日も来ることが当たり前と思い込み、大いなるものに生かされている事の有り難さを忘れているからに外ならない。

教祖さまは、天地海のお歌など和歌を詠むたしなみがあり、その中に

丸山のみねに清心なす松も 梅や桜の花ぞたのしむ

の一首がある。信心は清心、即ち心のけがれを祓ってきれいにすること、と捉えると信心三昧に生き、道を求めるあまり融通の利かない堅苦しさを感じるが、そうではなくて自然の営み、移ろいを感受し、梅や桜の花ぞたのしむのお言葉の通り、今に心をおいて生きることに主眼が置かれている。梅一輪にも、親神さまのおはたらきがある。一陽来復、固く閉ざした心を開き、心してたんせいに勤しもう。