神の光 2025年8・9月号巻頭言 松霊祭に心して

八月と言えば霊祭りたままつりの月。本教における松霊祭は、親神さま(元の父母さま)、先祖代々、今は亡き家族親族のみたまをお祭りする大切な行事であるが、その祭儀を司る教師(斎員)に対して、教祖さまは「上中下の中の役目」とおさとし下され、下にいる人を上へ上へと導く、いうなれば親しき人を送り別れの悲しみにくれる人の心が少しでも癒えるよう、お里帰りのみ教えを取次ぐと法に、真摯な態度で祭儀を務めよとの仰せである。
しかし、取次ぐ言葉は怖いことに諸刃の剣となる。人の心を慰めもすれば、「口は禍のもと」というようにどこかで慢心していれば、時に安易な言葉を発して人を傷つけもする。教祖さまは、「難儀な世・世界となるのも人の計り違い」と申され、また、「安楽な道に迷わぬように気をつけべし」とのおさとしもある。このお言葉を心に刻み、「つつしみにくらきはなし」「つつしみうやまうこころは、身のくすり」「身のつつしみ、第一と申すことなり」とあれば、「つつしみ」の心を忘れず、来る松霊祭はご先祖の有り難さ、見返りを求めぬ普遍な親心に思いを馳せ、折角この世に生み出された命であれば、今日の一日一日を大切に生きるとの誓いを立て、そして、報恩感謝の心をもって奉仕しなければ申し訳なし。
話は変わるが、今年はコロナ禍の影響で、教祖さまの松霊を祀る十年毎の天祭を一年遅れで斎行した。この記念の年となった来る八月十五日は終戦から節目の八十年を数える。思えば、今の日本の豊かさも戦争で犠牲になった多くの人の上に成り立っている。生きたくても自由に生きられなかったその人達を思う時、幕末から明治維新にかけての動乱期、困窮した民を見るにつけては心を痛めた教祖さまの本願「天下泰平」、下から読むと「平泰下天へいたいかてん」のお言葉が脳裏に浮かんで来る。しかし、人間のおろかさは今も続き、為政者の判断一つで戦争は止むことなく、世界の各地で無辜むこな命が犠牲となっている。終戦日までの間には、広島・長崎の原爆の日もあり、慰霊の行事が続くこの時節、親神さまの「ひとしの心」を相続し、つまらぬ偏見や見栄は捨て、松霊祭りみたままつりの式の中で、天明海天の御神言に心を託して、感謝と同時に平和への祈りも捧げたい。