神の光 2025年11月号巻頭言 教祖御生家を守り
教祖御生家、清宮家の御当主清宮明氏が去る九月十一日にお里帰りなされた。昭和十五年二月のお生まれなので享年八十五歳の御生涯だった。
氏は教祖さまの兄源録の娘、即ち教祖さまにとっては姪御になるおフジさんが縁ずいた吉澤家に生まれ、そのおフジさんから見るとひ孫にあたる。戦後図らずも清宮家を継ぐ者がなくなり、家名と血脈が途絶える事態となったことから、これを危惧した先人等が氏に白羽の矢を立て、御年十四歳で跡目を継ぐべく清宮家に入られる。教祖さまが城所家へ百姓奉公に行かれたのも十四歳、偶然と言えば偶然だが、同い年というのも必然的なお導き、出来事だったのか。
学業優秀で理工系の大学を出た後は川崎市役所に勤め、建設局・土木局に籍を置き、公僕として市民の安穏の為に力を注ぎ日夜たんせいに励まれる。その人柄は、実直さと優しさを併せ持ち、温かで人情深くありければ、公務を退いた後も里人からの信用を勝ち得て自治会長や崇敬会長などの役職に就き、地元の行事にも労を惜しまず貢献して大きな足跡を残された。
本教対しても、教祖御生家の当主としての自負心強く、十年毎の天祭には奉賛会の副総裁として真摯に向き合い、特には地元有志の取り纏め等に幅広い人脈を駆使してたんせい下さり、その結果、町会関係等大勢の方の協力を得て、無事渡御行列等が斎行出来たことが懐かしく脳裏に浮かんで来る。晩年闘病生活を余儀なくされたが、「和合たんせい」のみ教えを糧にされ、教校等で講習生をお連れしても体調に関わらず温かくお迎え頂いた。教祖御生家としての体面維持、一生を通しての事にてあれば相応の御苦労があったに違いないが、氏は揺らぐことなく一途に守りぬかれたことに敬服する。衷心より哀悼の意を捧げ、氏の生前の御たんせいにただただ感謝申し上げたい。

