神の光 2025年1月号巻頭言 天祭の年を迎え

新玉の年立ち返り、いよいよ来る三月には教祖百三十天祭・大松霊祭の大祭を迎える。思えば、教祖さまは幕末から明治にかけての動乱期、治安は大いに乱れ、困窮する民衆を見るにつけては心を痛めて、「日本神国、八百万の神という。どこかにこの窮状をお救い下さる神がありそうなものを」との思いから神(親)たずねの修行の道に没入されると、教祖さまのお人柄や行力に心惹かれた人たちが日毎に増え続けて来る。すると、国の宗教統制による教導職の資格を持たぬ教祖さまは、官憲から「世間を惑わす不届き者」とのレッテルを貼られ、度重なる拘引で信心差し止めの仕打ちを受け、また親類縁者の猛反対や世間の迫害、挙句は助けた弟子が裏切り、密告されて窮地においこまれ、「この上は生きるすべもない」との悲嘆にくれて、二十一日間の富士入定で命を絶とうともする。特にこの時期は後に「明治七年の生」と称され、教祖さまの御生涯の中でも最も過酷な難行苦行の連続であったが、「尺(癪)の虫を払って尺の玉を授ける」、即ち、全ての遺恨を祓い清めて大悟し、親神・元の父母の見返りを求めぬ不変な親心を相続して「天下泰平、
普く人助け」の本願を立てて開教に至る。

教祖さまのみ教えは、「しまつつつしみたしなみ」であり「和合たんせい」を説かれて人の歩むべき道を指し示し、そして、お里帰りした人への諡、「心天寶清德皇行地德皇行」のお言葉の通り、命に対しては、男女の区別はあっても差別は無く、出来不出来、善悪を超えて、命の重さ、尊厳さについて、全くの等しさを教えられている。教祖さまには、うわべの姿などに惑わされることもなく、苦労を背負いながらも生きとし生けるものに対して命の輝きや美しさが見えていたに違いなく、必死に生きている人に対して、「難苦つくすれば、一日の光をいただく」とのお言葉は、なにより生きること、命に対する慈しみの心が滲み出てはいないだろうか。

教祖さまは正月の神前で、「天地海めぐる月日のこころしれ むかしもいまだ生はかわらん一のお歌を三度読めという。先祖を通し大いなるものに生かされて命の営みがあり、今日無事あることに思いをいたせば、感謝の気持ちをもってただただ天祭を奉仕するのみ。