神の光 2024年8・9月号巻頭言 心新たに

三世さまの遣された「稲毛郷土史」の著作の中に、本庁所在の登戸からほど近い所にある枡形山の城主だった稲毛三郎重成の話がある。この稲毛三郎は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将で桓武平氏の流れを汲む秩父氏の一族に連なり、現在の東京都町田市にあった小山田荘の莊官で小山田氏の祖となる小山田有重を父に持ち、従兄弟で幕府創業の功臣として重きをなした畠山重忠と共に早くから頼朝の軍勢に加わり、平家追討や奥州攻めで戦功を上げ、後には北条政子の妹を娶って頼朝と義兄弟の間柄になり、武蔵の国の稲毛領、川崎領の二か領四万八千石を領した鎌倉幕府の有力な御家人だった。しかし、頼朝亡き後、幕府内の政争にまき込まれ、舅の北条時政にそそのかされて忠臣としても名高い畠山重忠の謀殺にかかわり、陰謀をはかった卑劣な奴との汚名をきせられて課殺され、教祖さまにとっては、知る限りの人物の中で最も悲哀を被った悲劇の人物である。

当然この稲毛三郎の霊は、教祖さまの生きた時代までの約七百年もの間、無念の思いに浮かばれることもなくさ迷いつづけ、居城であった枡形山の鞍掛の松に近づくと稲毛の祟りがあると恐れられていたという。実際に枡形がある生田には古くからこの話が伝わり、今も「教祖の夢に現れた稲毛三郎重成」と題して郷土の昔話として残っている。

教祖さまは、この稲毛三郎を哀れみ、人の持つ猜疑心や、争いごとの根底にある権力欲などの欲望の罪深さを一身に引き受け、贖罪の修行をおこなって稲毛三郎の霊を浮かばせられたのである。皆様にお馴染みの松霊拝詞の中の「武蔵野にその名も高き枡形の松も月日のめぐみたのしむ」のお歌がそれである。神葬祭の時に「松金長光海之天」と書かれたお掛け物を中央に掛けるが、武蔵野のお歌はそこにも明記されていて、これは全ての生きとし生けるものが親神の親心に許されてお里帰りできるとの教祖さまのお墨付きである。三世さまは、稲毛三郎の話を通して教祖さまの慈悲深さ、職罪のご清心を継承されて、あの世の世界を「親さまのことだ、悪いようにはなさるまい」と一言仰せられ、絶対の安心を説いている。今月八月は松霊祭の月。親神さま、ご先祖さまを通して折角生み出された命、敬い感謝して、心新たに一日一日を大切に生きよう。