神の光 2024年7月号巻頭言 規則の中で

七月の声を聞くと富士山の山開き、二ヶ月余りに亘る本格的な夏山シーズンの到来となる。コロナ禍以前の登山の形態は、富士山が世界文化遺産になったこともあって外国人も殺到するなど一大登山ブームが起こり、北口に当たる吉田のスバルラインの五合目広場はツアー客の団体でごった返し、登山道、山小屋も混雑を極め、またマナーを無視するような弾丸登山も横行していた。

これが新型コロナウイルスの感染拡大・世界的規模の大流行で、令和二年の年は山梨、静岡両県で入山禁止の措置が取られ、翌年からは三密を避けるなどの感染防止の対策が講じられて、山小屋の宿泊人数も定員の半数に抑える等大幅に削減され、登山者にとっては手足を伸ばせて、少しはゆったりと休めるようになった。以後も年毎に登由者に対する環境、マナーはより厳しくなる方向にあり、山梨県側は今年から五合目の登山道入口にゲートを設置して、これまでの富士山保全協力金、通称入山料(任意)とは別に、登下山道の通行料を新たに徴集し、一日四千人になった時点で入場制限を図り、人数が満たなくとも弾丸登山の防止の観点から午後の四時にはゲートを閉鎖するという。

本教のような信仰登山においては、人数制限による山小屋の宿泊料の値上げやバス代の高騰等の上に通行料も加わり、ご参加下さる信者の皆さんの負担が増してしまうことには心苦しく思うが、しかし、これに見合って団体数も抑えられることで、あまり団体が重複することもなく一歩また一歩と歩むペースを一定に保って登れることはありがたい。不思議なことに登り出しは雑念だらけであっても、同じ歩みを続けることによって気がつくと何時しか心は空っぽになってくる。毎年の事だが、登山は天候次第、お頂上が叶えば何時も心に浮かぶお歌がある。富士講中興の祖と言われた食行身禄くうの「ふじの山のぼりてみればなにもなし よきもあしきも我がこころなり」、そして「ふじの山よきもあしきもなすことわ いくよへるとも身にぞきたりし」。教祖さまはこれを「つつしみ第一」と言い、「地獄極楽みな身の内にあり」ともいった。「玉の光にあうぞ嬉しき」ではないが、悠久の時間の流れの中で「大いなるものに生かされながら生きている」自分に出会うことが出来る。心して登りたい。