神の光 2023年10月号巻頭言 静けく
静けく過日、S氏の十年祭を奉仕させて頂いた。この方、昭和五年に農家の三代目に生まれ、戦中戦後の苦難の時期を乗り越えて家業を相続、野菜作りに勤しみこれを生とする。時代は下って昭和三十年代以降、工業立国化が推進されて、都心周辺にも都市化の波が押し寄せると、主たる生産品目を花卉の栽培に切り替えられる。花卉はキク、バラ等の切り花類、シクラメン等の観葉植物や盆栽等の鉢もの類、外にも庭に植える花木類、花壇用の苗もの類や球根類などがあげられ、鑑賞のために栽培する植物のことを言うが、この方は主として盆栽に重きをおかれたようだ。水やり、剪定、植え替えや鉢上げなど、一年を通して手間暇かけてたんせいする。飽くことなき愛情を注いだ証しとして、花卉の品評会において姫リンゴなどの鉢植えの作品で農林大臣賞の栄誉を二度にわたり受けられている。
この方のお人柄、信心深く、温厚篤実。そして何よりの人となりは、もの静か。気が荒げることなどまったくなく、いわば泰然自若の風体。雨風厭わず、永年にわたる花卉栽培において、物言わぬ植物と真摯に向き合い慈しむ中、自然の変わらぬ営みに対する畏敬の念を持つことで、心穏やかな精神を得られたのではないだろうか。己を顧みれば、何かにつけて心は直ぐにさざ波が立つ始末、心の中に得る「静けさ」がなんともうらやましい。
思えば、拝み詞の「神教」に「天の理を稱りて。人の道を履ましめ給へり。抑も人の性は和度れる海面の如靜けく」とあり、少し後に「其性海面の静けきに復りて動きなば。こころつね清き明き直き正しき誠心の出來て。動毎に理に契ひ。心常に氣を使ひて。氣に使はるる事なし」との文言がある。心雑多な毎日、気に使われることのなきように今一度自己を見つめ直し、穏やかな心を取り戻したいものだ。教祖さまのおさとしに「熊手箒は浮き世の掃除道具、天明海天は心の掃除道具」とあれば、一日一日を信心に生きる以外に道はなし。