神の光 2024年5月号巻頭言 天祭に向けて

今年は寒暖の差が例年よりも激しく、当初は東京のソメイヨシノの開花が全国に先駆けて三月の二十日と予想されていたが、この後めっきりと冷え込んで蕾も固く閉じ続け、東京近郊である本庁周辺の桜の名所である二ケ領用水の桜並木も遅れに遅れて、やっと四月の声を聞いて開花し、七日の水祭当日が満開だった。

此れより先の三月三十日は教祖さまの祥月命日。近所の枝垂れ桜はソメイヨシノより早いのか花びらをピンク色に染めて満開だった。本来ならこの日が教祖さまがお里帰りされてから満百三十年目となり、天祭の年となる。コロナ禍でこの天祭を一年先送りにしたことは周知の事であるが、今年の天気のお蔭で十年前の百二十天祭の二十九、三十日の両日の事が否応もなく脳裏をよぎる。その時の日取りは土日に当たり、天候は二十九日がこの上もない最高の春日和、陽気につられてか参詣者は想定をはるかに超えた多さで、昼の弁当はまったく足りず夜の分を急遽補充する始末。ところが翌三十日は打って変わっての大嵐で、教祖さま御帰天の時の「その日は一点の雲もない快晴となりましたが、夜の十時頃から、黒雲が南天より本院(現本庁)の棟の上にたれ、にわかに一天かきくもって、すさまじい大雷大風雨になりました」の言い伝えを髣髴とさせる一日の始まりだった。午後は晴れたが、奉仕者、参詣者共にびしょ濡れの中でも無事祭典を斎行したことが懐かしい。

今年の教祖さま御帰天前日の二十九日は、これとは真逆に春雷ともいえる悪天候。大風が吹き荒れ横殴りの雨が窓を叩く。これに反して御命日当日は至って穏やかな春日和だった。来年の事を言えば鬼が笑うというが天祭まで一年を切った今、両日が前回同様土日に当たり人の出も不明だが、穏やかな祭典日和となる様祈らずにはいられない。

天祭に向けて、明治十四年に教祖さまが建立された根本神殿の「御法殿」の御屋根の大改修工事が今年いっぱいをかけて進められている。その御法殿の落成遷宮式の折、教祖さまは、「心よくまいる人々花のれい、開く桜を友にわすれん」とのお歌を詠まれている。どうか教祖さまの思いに報いるためにも、来る百三十天祭が教団一丸となって盛大に斎行出来るよう、教信徒皆々様の御たんせいを偏にお願い申し上げる。