神の光 2022年10月号巻頭言 執着心を解き放とう
教祖さまが丸山講の先達吉田金平を師事して、富士講信心を本格的に始めた頃に拝んだ詞は、富士講の教典「お伝え」の中の五行お身抜きであるが、その中に出て来る「こうくうしんという言葉には殊更意識をおかれていて、晩年にも当時を回顧して、「こうくうしんの心の一字にこころをとめて座禅修行八年」とのお言葉が残っている。
そのこうくうしんは、光空心とも虚空心とも後に字を当て、雑念を祓って澄み切った精神状態とか、心がからっぽで静かな心境の状態をさす。謂わば、この光的心に到達すると、不平不満などのつまらぬ執着から解放されて心が自由となり、当然迷いも消え、おおらかで、いつでも目の前のことに集中することが出来るようになるという。
そのよい例が教祖さまのお言葉の「断食もな腹がへったら飯を食え」である。教祖さまは親神さまから啓示を頂くと、その意味を悟るべく一心になって修行に励む。当初は寒中における水行であったり煙行などの荒行であったが、必死になって得を勤めるうちに、外界への意識や雑念は振り払われて心は内なる一点に集中し、いつしか肉体を離れて解きはなたれた精神世界に入られるのだろう。すると親神さまから頂いた啓示の意味が脳裏に関き、その瞬間に悟りを得る。
その後は当然五感の感覚を伴った元の日常の世界に教祖さまの心は戻ってくる。すると何日も行に明け暮れて食事もとらず、腹が減っている事に気づく。お付きの者に「腹が減ったな」と声がかかると、「教祖さまの行眠け」とのお触れが出された。「断食もな腹がへったら飯を食4とのお言葉を通して、修行の目的がやせ我慢ではなく、雑念を捨て一心になるしている事に気づかされる。
神教に「こうくうしんは天明海天の殿最にして」とある。ただ拝むだけでは事足りない。何かにして心が縛られていたり、雑念だらけでは迷いはしてもいい智慧は浮かんでこない。一度頭を空っぽにすることで、心は覇面の今に集中することが出来る。改めて教祖さまの行を辿りなたがら、神前に座り執着した心を解き放つよう拝したいものだ。新型コロナウイルスのまん延、ウクライナ戦争による物価の高騰、エリザベス女王の崩御と、混沌とした世相であればなおさらのこと不健康に陥らないように。