巻頭言 2

歩みの中で   平成23年 8月号


今年は空梅雨で猛暑日続き、名ばかりの梅雨明けも過ぎるとお山、即ち富士山へ登る季節がやって来る

昨年は、教祖様の百二十天祭奉賛会の設立を記念し、御修行跡を偲びながら本庁から富士吉田までの24里を3日間かけて行脚(あんぎや)した先達の一人は、今年も往復の行脚に挑戦するという。しかも出発前日には、教祖様が明治7年9月、世間の迫害を受ける中、頼みの弟子に密告、裏切られて富士入定にまで追い詰められた九品仏までの往復20キロ余りの道程も歩いて来るという。全行程は200キロを優に超え、登山の2日を含めると足掛け9日間の修行である。炎天下の中、健脚とはいえ、アスファルトの照り返しに辟易(へきえき)としながらも、愚痴をこぼさず、ひたすら「天明海天」を心で唱えながら歩み続ける心境はいかばかりか。

修行とはある意味、神に試(ため)される事。教祖様は「はかりにかかる」と仰せられている。疲労困憊(ひろうこんぱい)、心身ともに余裕がなくなる中でどのような態度、気遣いがその時出来るのか。苦しいからと投げ出してしまえば、そこでお終(しま)い。同行者相身互いに心配し、その修行を支えてくれる家族や多くの人達のお陰で今あることに気付き、苦しさを共有しながらも思いやりや感謝の心が生じて来た時、きっと苦しさも変わって来ることだろう。思えば、教祖様も生命を賭(と)しての入定修行の7日目、生死の狭間(はざま)の中で、「赦(ゆる)しの心」を体得し、世間の迫害、弟子の裏切りに対する恨(うら)み、辛(つら)み、憎(にく)しみ等を捨て去って大悟されている。本庁から行脚の先達、一歩一歩を大事に刻んでほしい。時に遅々として進まぬように見えても、間違いなくその一歩はお山に近づいている。

東日本大震災の復興、原発の放射能漏れの収束の先行きが見えぬ中、それでも被災した人達が復興に向けて歩み続ける限り、希望の光は必ず見えてくる。今も避難を余儀なくされている人達に対して、一歩を積み重ねる歩みの中で、教祖様の本願が「天下泰平・普く人助け」であれば、平和・安穏を祈ってほしい。皆が無事であるように・・・・と。