巻頭言 1

祈 り   平成23年 7月

東日本大震災から早三ヶ月以上が経ちながら、福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故は予断を許さず、収束にはかなりの時間を要するという。未だ行方不明者も8千人強に上り、また非難を余儀なくされている人達は9万人を超えている。それでも瓦礫(がれき)化した街の復興へ向けて、民間は遅々としながらも必死になって歩み出していて、時に企業再開などの明るいニュースも報じられている。

しかし、この間の政局はいかばかりか。「一日も早い復興を祈り、被災した人の身になっての対策を」との掛け声は、不信任案採決での茶番劇を始め、政策が後手後手に回って空しく響く。看護師を始めボランティアの人達が親身になって現場で被災者を支えているのを見る時、この人達の「祈り」の気持はどこにあるのだろうか。

「祈り」と言えば、去る3月末日、多摩教会の吉澤妙子大刀自が百歳の天寿を全うされてお里帰りされた。その折御家族の方からお話をお聞きすると、大刀自は手先が器用で還暦を超える頃からちぎり絵や手毬を習われたという。その頃からだろうか、広告の紙を4センチ四方に裁断し、差し上げる人の好み、雰囲気に合わせて、これを千枚色とりどりに並べ代えてから、一枚いちまい丁寧に鶴を折っていくという。生涯どれだけの枚数の鶴を折ったのだろうか、差し上げた人の数からみても一万二万の数ではとてもないだろう。

その一折りひとおりには、真心・祈りが込められているに違いない。その贈る人に対して、無事を祈りながら、時には感謝の気持ちを捧げながら、相手の幸せを何時も願っていたことだろう。教祖様のお言葉に「情けは人の為ならず、末は我が身のため」とあるが、「情け」を「祈り」に置き換えてもよいだろう。人を思う祈りの積み重ねは、大刀自の明るさ、前向きさ、優しさに如実に現われ、皆に慕われた良き人生となっている。

改めて自分の心を見つめ直し、被災者の心情を偲んで、復興へ向けての真摯な祈りを捧げたい。そして世間に向けて今出来るたんせいに努めよう。